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『前田日明の水曜の会』まとめ 〜たかぶろ プロレスVarious!〜 

『前田日明の水曜の会』まとめ
〜たかぶろ プロレスVarious!〜

◎少し古い話題になりますが、前田日明の半生を描いた書籍『格闘者』出版を記念して行われた『前田日明の水曜の会』なるトークイベントが6月24日に都内にて行われました。

20150720184608a7c.jpg

出席者
前田日明氏、塩澤幸登氏(『格闘者』著者)、井上崇宏氏(『KAMINOGE』編集長)


エキサイトニュース様のweb上にて3回に渡りアップされたこのイベントの模様があまりにも興味深い内容だったので、当ブログ独自で一つにまとめてみました。

▶︎「アリの弟子にしてあげる」という口車に乗り、新日本プロレスへ入門した若き日の前田日明(Part1)
▶︎前田日明を語ることは喜びであり、キナ臭い(Part2)
▶︎前田日明「新日本プロレスの人たちを家族のように思っていた」(Part3)


以下は、あくまでもエキサイトニュース様からの引用です。
(T管理人)

『前田日明の水曜の会』動画はコチラ
http://youtu.be/-msMQaeqtWQ
http://youtu.be/pjLvtkOW6DQ



2015072018153081d.jpg

塩澤 僕はほとんどプロレスラーという人たちを知らないんですけど、どういうわけか前田さんとだけは古くから知り合っていて。『U.W.F.戦史』という本がきっかけだったんですが、ちゃんとした前田さんの本を書きたいと思っていました。それで去年お話したら、OKをいただきまして。お話を伺うと、今までのどの本を読んでも書いてなかったことまで話してもらえた。僕は何でも3冊にするクセがあるんですが、「これはまた一冊じゃ収まらないな」と(笑)。「新日本プロレスに入り、ロンドンから帰ってくるまで」、「UWFが終わって一人でリングスを立ち上げるまで」、「リングスで選手生命を終わらせ、人生の余生のようなものを決めていくまで」、この3冊に分けるつもりで一冊目を書いたところです。自分はこれをプロレスの本だとは思っていなくて、「昭和に生まれた一人の人間が時代の中で必死に生きた」ということを表現できれば……と、書かせてもらいました。
前田 何より息子ができて、彼が30歳になった時に自分は78歳。それまでに元気でいられるか考えたら、あまり自信が無いんですね。あと主義として、自分はアルバムを作っていないんです。今回、親父の持ち物から出てきた写真をいっぱい載せていますが、写真のアルバム代わりに文章で自分の親父がどういう人だったか残してやりたいと思いまして。
――塩澤さんは「プロレスラーをほとんど知らない」とのことですが、他の選手と前田さんの違いとは何だったのでしょうか?
塩澤 皆さんご存知だと思うんだけど、プロレスって基本的には興行で、「どれだけたくさんのお金が集まるか」がかなり重要な要素です。そのために色々な物語や闘いのテーマを設定し、できるだけたくさんの人たちに来てもらう。そして、入場料を払ってもらう。でも、前田さんの言ったりやったりしてることを見てると「そういうことよりもっと重要な事があるんじゃないか?」「本当に大事なものは何なんだ?」という問いかけが、他の人と違いひしひしと伝わってきます。「この人は全然違う闘いの論理の中で生きている」と思えたことこそが、この本を書く最も大きな原因でした。
――前田さん、出来上がった本を読んで「塩澤さんに書いてもらって良かった」と思えましたでしょうか?
前田 この本を書くためのインタビューって、そんなに長く時間をかけなかったんですね。「それでどうやって書くんだろう?」と思ってて。で、塩澤さんが色々調べて書いた文章を読むと、自分の生きた時代背景、自分が無意識にしてたこと、感じてたことがわかり、面白かったですね。


前田の同書に関する感想を踏まえたこの状況で、いよいよ本編であるトークライブに突入! 仕切り役は「東京カルチャーカルチャー」イベントプロデューサーのテリー植田氏です。

――KAMINOGE井上さん、前田さんとはお付き合いは結構長いんでしたっけ?
井上 そんなでもないですけど、はい。さほどでございます(笑)。
(前田&井上 見つめ合って笑う)
――この会では、前田さんの色んな側面を小出しにしていきたいと思っているんですが……。
井上 最近のKAMINOGEは「格闘者」ではなく、前田日明の“異常性欲者”としての側面を露わにしていきたいなと。
――いきなり、下ネタから行きますか。どう、異常なんでしょうか?
井上 今でも、一日にオナニーを必ず3回やるという。
――そんなダイレクトな話を……。それは、前田さん本当なんですか?
前田 いや、ウチの若い奴(アウトサイダー出場選手)に「お前、毎日オナニー10回しなきゃいけないんだよ」って言ってて。
井上 ……前田さん、もしかして今日照れてるんですか?
前田 アッハッハ!
――前田さん、今日「アブサン」(リキュール)用意してますから、スイッチ入ったらいつでも言ってください。で、本(『格闘者』)についてを伺いたいんですが、大阪のストリートファイトの話から始まり……。結構、ヤバイ時期の頃の話ですが。
前田 俺が高校生の頃の大阪は、抗争に次ぐ抗争で。
――ホンモノの方の?
前田 ホンモノ、ヤーさんの。大きな抗争があり、その下っ端の組の抗争もあって、メチャメチャその頃の大阪はヤバかったですよ。
――なんでわざわざそんな時期に、ストリートファイトをやるんですか。
前田 いや、その頃、たまたま空手の初段取っちゃったんだよ(笑)。そして道場の先輩に呼ばれて「前田、おまえ初段取ったらしいな」、「先輩のおかげです、ありがとうございます」、「お前、空手の初段ってどういう意味かわかるか? 車の免許で言ったら、仮免や。仮免って何があるか知ってるか?」、「いえ、わかりません!」、「仮免言うのはな、路上教習があんねん」。
――それ、“ストリート”じゃないですか(笑)。
前田 それで「夜中に電話するから、呼んだら来いよ」って言われて、行って。で、「あそこにいるアイツ、しばいて来い」って言われて、ボコーンって。
――それ、心斎橋とかですか?
前田 心斎橋とか宗右衛門町とか。
――一番の繁華街じゃないですか……。
前田 宗右衛門町に半地下の駐車場があるんですよ。そこで「陳家太極拳vs無想館拳心道(前田が所属する流派)」って他の奴と闘わされて、髪の毛掴んでヒザ入れたりして。
――それ、何歳の時ですか?
前田 高校2年生の夏。陳家太極拳の奴が「髪の毛掴むの、反則やろ!」って言ってきたから「反則なんかあるかぁ」ってバーンって。
――そして、そこから佐山さんと出会って。
前田 その頃、田中正悟が俺の(空手の)先輩でいて。たまたま田中正悟が公園で練習してたら佐山さんもそこにいて「それはキックですか、空手ですか?」って聞いてきて。それをきっかけに(佐山も)一緒に道場で練習したんだけど、「前田、お前相手やれ」ってことで。それで一週間、ウチの道場で練習しましたね。
――それが、佐山さんとの最初ですか。『格闘者』を読むと「こんなにプロレスラーって小さいんだ」と思ったっていう。
前田 そうですね。身長は小さかったですけど、サイコロみたいに横幅がありましたし。
――実際に稽古したら、どうでした?
前田 やっぱりもう組んだらね、投げ捨てるように“ポーン”って投げられて。どうしようもなかったですね。「力は凄いなぁ」と思ってね。
――そこから、猪木さんが?
前田 それからしばらくして、当時、佐山さんが猪木さんの付き人やってたんで「練習した17歳の子がいる」って伝えてたみたいで。そんで何ヶ月か経ち、「新間寿さんっていう猪木さんのマネージャーやってた人が『会いたい』って言ってるから、会いに行こう」って田中正悟と会いに行ったんです。
――その時は「モハメッド・アリの弟子になれる」という話で、弟子になりたい一心で行ったということですが。
前田 「プロレスラーにならないか?」と言われたんだけど、「もう、とんでもない!」。自分らの世代のプロレスラーって、フリッツ・フォン・エリックとかサンマルチノとか豊登だとか、ああいうイメージ。生まれながらに怪童とか神童と言われる人の集まりだと思ってました。
――「プロレスラーはとんでもない、なれない」という感じだったんですか?
前田 「プロレスラーは凄い体して……」と思ってたので「ちょっと自分は無理です」。で、たまたまその頃、日本人初のヘビー級ボクサー(コング斉藤のこと)の試合がテレビで流れて。それがしょっぱい試合で、くっさい試合で、「ちょっと真剣にボクシングやったら、俺でもこいつに勝てるやろ?」と思ってたところに、新間さんが「君はモハメッド・アリが好きか? ヘビー級ボクサーになる気はないか?」って言うから「ヘビー級ボクサーだったら考えてもいいです」、「じゃあ、モハメッド・アリの弟子にしてやろう。ただ君はまだ体ができてないんで、ウチで1~2年間体を大きくしてアリの弟子になったらいい」って。
――それは、アリと猪木さんが闘った翌年くらいですよね。
前田 その時、新間さんに「新日本プロレスに1~2年食べさせてもらって、トレーニングさせてもらって、どうやってお返しすればいいんですか?」と聞いたら「ちょっとだけ試合してくれればいいから」って。「ちょっとだけ試合すればいい」っていうのは、自分の中では「アリのところに行き、日本人ヘビー級ボクサーとしてデビューし、凱旋帰国してボクサーとして試合したらいいのかな」と思ってたんですよ。
井上 「ボクサーにしてやる」って言われても、ブリッジやらされた時点で気付くべきですよね。
前田 フハハハハ!
井上 それは、どのくらいまで信じてたんですか?
前田 デビューして一年経ったくらいまで信じてたよね。その辺りで、新間さんに「アリの道場って、いつ行くんですか?」って聞いたら「お前、真剣に言ってんの?」、「えっ、本当じゃないんですか?」、「バカか、お前は!」って(笑)。
――塩澤さん、その話は本の中にも出てきて、それが何かしらのくすぶりになったというニュアンスでしたが。
塩澤 ハッキリした証拠は無いんだけど、新日本プロレスに入った時の前田さんはかなり嘱望されたというかね。「将来、この人が新日本プロレスを背負って立つ」って猪木も新間さんも思ったんじゃないかと思うんですね。デビューのさせ方とか巡業のこととかが猪木さんと新間さんの間で話し合われ、「新日本プロレスの次の世代は前田日明に背負ってほしい」という意向は共通したコンセンサスで存在していたと思うんですよ。
――前田さん、それはご自身では気付かれていたんですか?
前田 いや、全然わかんないですね。モハメッド・アリのところに行けないって聞いてから、どうしようかなと思っていました。「大阪に帰っても土方やるしかないし……」って時にゴッチさんと出会い「色んなこと教えてもらうまで頑張ろう」という感じでした、自分の中では。
――1978年にデビュー戦で、相手は山本小鉄さん。なんで、最初が小鉄さんなんですか?
前田 当時、自分の半年後輩で平田とか、辞めちゃった原園とか、ヒロ斎藤らがいて。彼らがデビューする時は小林邦昭さんや栗栖正伸さんといった先輩が相手してるのに、自分の相手は山本さん。後々、山本さんに聞いたら「みんな『嫌だ』って言って、俺がやるしかなかった」って。
――そうなんですか。
塩澤 その時に「プロレスはあらかじめ勝ち負けというか落とし所を決めてやるもんだ」と初めて打ち明けたのが、佐山なんですね。
前田 そうです。その時、佐山さんは「でも猪木さんは、行く行くはショープロレスじゃない本物の格闘技をやろうと思ってるんだよ。だから、藤原さんとグラウンドの練習しているのは正しいんだよ。いつかそういう事ができるようになるから、気を落とさずに頑張れ」ってことを、俺に言ったんですね。
塩澤 猪木さんの中に「強くなくちゃいけないんだ」というのがあったと思うんですよ。もう一つは、弱い人を相手にしても相手を強く見せる演技力がなくちゃいけない。でも前田さんは、「弱い奴を強く見せる」はおかしいんじゃないかと。プロレスがどうこうの前に、道義的におかしいんじゃないかと。それが、彼を“猪木の後継者”にさせなかった。それで、独自のUWFというスタイルを藤原さんと一緒に作り出していったという。そこのところで、猪木さんと別れざるをえなかった。
――そういう意味で、新日の中で藤原さんは最初から特別な存在だったわけですか?
前田 藤原さんは最初、俺のことがすごい嫌いだったんですね。入門して、自分は「モハメッド・アリの道場に行くために体を作る」というつもりでいたんです。藤原さんからすると、そういう態度が好きじゃない。自分としては、せっかくプロレスの道場にいるんだから関節技とか寝技の技術を身に付けようと思って、藤原さんのところに行き「お願いします」って言うんですけど「向こう行け、シッシッ」って、全然相手にしてくれない。ずーっと相手にしてくんなくて、ある日、猪木さんが「藤原、そんなこと言ってやんなよ。じゃあ前田、俺が相手してやるよ」って。それで猪木さんにガーッて行って、それで藤原さんに認められ「おまえ面白い奴だな、明日から教えてやるよ」って言ってもらえた。
塩澤 補足すると、猪木が「俺が相手してやるよ」と言った時「何やってもいいんですか?」って聞き返したの。それで、彼としては「空手しかやったことない奴がプロレスラーに勝つには、目潰しと金的攻撃しかない」と。そして、そこで両方やったらしい。そしたら金的の方は外したんだけど、目潰しの方が入って大騒ぎになった。で、周りから取り押さえられ、袋叩きにあったらしいんだけど、それを藤原さんが見てた。「こいつは根性がある」と。それは藤原さんが個人的に「あいつは面白い」っていうのもあったんだろうけど、猪木と小鉄さんたちが相談したんじゃないかと思うんですよ。「ちゃんとしたプロレスを教えるにはどうしたらいいか」って。
――で、藤原さんにそう仕向けたって?
塩澤 う~ん、そうじゃないかなぁって。何の証拠も無いんだけど、藤原さんが前田さんのスパーリングの相手をしてくれるようになった背景には、新日本プロレス自体が「どう、前田日明を育てるか」と考えてた気がしてしょうがないんですけどね。
前田 う~ん、そういうのは無かったと思うんですけどね。当時、藤原さんってすごい浮いてたんですよ。
――テレビ観ながらでも、そういう感じは伝わってきました。
前田 猪木―ルスカ戦の時に、ルスカが道場に練習しに来たんです。その時、「誰かルスカの相手をやってやれ」ってなって藤原さんが手を挙げたんです。で、藤原さんがルスカにやられるかと思ったら逆で、ルスカがボロ雑巾のように手を極められ足を極められ。藤原さんにしたら「プロレス界の名誉を守って会社の名誉を守ったのに、なんでもっと上の方の試合に出してくれないんだ」という気持ちはあったと思うんだよね。実際は俺の方が強いはずなのに、って。誰も藤原さんをコントロールできなかったんです。みんな、藤原さんに対して腫れ物を触るような感じだったんです。普通に話ができるのは、猪木さんと小鉄さんくらい。でも、そういう藤原さんの佇まいってウチの親父にそっくりで。仕種とか、周りに発散する気とか。
――それは、藤原さんに言ったことはあるんですか?
前田 あります。「そうか」って、笑ってましたけど。
――その頃、前田さんはトンパチって言われてたんでしょ?
前田 猪木さんとやってから、俺はトンパチと言われるようになりました。
――塩澤さんは前田さんのどういう部分で「追いかけたいなぁ」と思ったんでしょうか?
塩澤 ビターゼ・タリエルとやったのが、1994年? その試合の一週間くらい前に、初めて会ったんですよ。それは篠原勝之さん、クマさんの本を作って。そしたら「あとがきを書いてもらいたい人がいる。前田日明だ。俺が言ってると伝えれば、必ず会って話聞かせてくれるはずだから」って。だから電話して、南平台の当時のリングスの事務所に行き前田さんに喋ってもらったんだけど、その時「よく本を読んでて、凄い人だな」と思ったの。その後、百瀬博教の本を書いて「前田っていうのがいるんだよ」「いや、知ってますよ」って話になって。それで色んないきさつがあって『U.W.F.戦史』っていう本を書いて。これを書いた時に、どうしても解けない謎が「なんで前田は、たった一人でリングスを旗揚げすることになったのか?」。色んな本を読んで情況証拠はいっぱいあるけど、決定的なことは何もわかんない。だから、僕は彼に取材を申し込んだんです。それで総合格闘技を確立していくプロセスの中でプロレスラーたちが脱落し、最後に残ったのが前田日明一人……っていうのが、やっと本人が言ったことと情況証拠を集めた時にわかったんですね。3つに分かれるんだけど、前田は一人で行かざるをえなかった。ちょこっとプロレスラーになるいきさつとかも、聞かせてもらったんだよね。そのキーポイントになるのは、カール・ゴッチ。日本のプロレスの土台を作りながら、段々みんなに阻害されていった人というのかな。この人が教えたものが、前田日明の中である形で生き残ったっていう。そして、それが格闘技の動きになっていった。それはちゃんとした本として残しておく価値がある。だから、書いてみたいなって。お金いくらくれたって、こういう厚い本はなかなか書けないですよ。自分の中に「この人のことを表現したいな」っていうきっかけがないと。
――ゴッチさんの話もありましたが、やっぱり前田さんへの影響は相当なものですか?
前田 なんだかんだでプロレスって一時的には、世界のプロスポーツの中で最もお金が集まる競技だったんですよ。お金が集まりやすいところには、優秀な人間が集まるんですね。プロレスは1980年代くらいまでは隆盛を誇っていて。それを象徴する話として、長嶋茂雄さんが巨人軍と300万円で契約した時にジャイアント馬場さんは「えっ、長嶋ってそんなはした金で契約したの?」と言ったんですよ。プロレスって、そのくらいお金が集まったんです。のちのち、自分はリングスで年12回の大会を開いていました。自分が経験した新日本プロレスっていうと、年180~230試合。当時の猪木さんや馬場さんを考えると「一体あの2人、いくらお金儲けたの?」って感じですね。そういうお金が集まってくるところには、優秀な才能やとんでもないバケモンみたいなのがいっぱい集まってくる。で、ゴッチさんが藤原組のコーチで船木をマンツーマンでコーチして。船木と再会した時にどんなトレーニングしてたか聞いたら「いやぁ、大変でしたよ。毎日、道場へ行く車の中で『今日は逃げよう、明日は逃げよう』と思いながら行ってました」。その練習内容は、向い合ってマンツーマンで全種目をゴッチさんと一緒にやる。その時のゴッチさんって、70代ですよ。そんな人がスクワット2000回から始まるメニューで、毎日みっちりやる。ゴッチさんのスクワットって、綺麗にお尻が床に付くか付かないかまで下ろし、尚且つ反動も使わずにちゃんと上げる。そんなゴッチさんみたいなレスラー、1950~1960年代にはいっぱいいたんですよ。俺が知ってるだけでジョージ・ゴーディエンコ、ダニー・ホッジ、ルー・テーズもそうですし。ちゃんと実力を持った、プロレス黄金期の怪物的な選手は凄かったですね。
――井上さんから見て、この本はいかがですか?
井上 いただいていて、まだ読んでなかったんですけども。「前田さんの全てを記しておきたい」ということなんですが、例えば「プロレスはフェイクで前田さんだけが正しい」みたいな論調だと、かなり片手落ちなんじゃないかなと思いました。もっと前田さんのプロレスに対する愛情ですとか、そういった部分も続編では触れていただけるといいかな……と、ちょっと思いました。
――塩澤さん、どうですかその辺?
塩澤 どうなんですかね。「『プロレスラーでいたい』と思ったことは一度もなかった」って、前田さん言ったよね? それは、“生きることの苦しみそのもの”みたいに受け取って。「好きにはなれないけどやらざるをえなかった」という位置付けで前田さんの中にあったんじゃないかって。逆に言うとそれがあったから、徐々にプロレスの中にルールを持ち込んでスポーツにしていこうとした。日常を愛する意味でプロレスを愛するってことはあるかと思うんだけど、やっぱり理念としてはそこでは生きていなかったんじゃないかなという気がするんだけど、どうなんだろう?
前田 自分は、自分が新弟子として育った新日本プロレスはすごい好きなんですよ。前座には、プロレスなのかケンカなのかわからないような試合はいっぱいあるんですね。自分が本当にプロレス団体やるんだったら、マッチメイク引っくり返っても文句は言わないプロレスをやりますけどね。猪木さんも小鉄さんも、マッチメイク引っくり返っても何にも言わなかったと思うんですよね。後にブッカーが坂口さんに替わったあとに新日本プロレスが色々変わっていって。自分自身は新日本プロレスにいましたけど、自分がプロレスラーだという意識はあまり無かったですね。ただ、新日本プロレスにいた人たちを家族のように思っていました。だから、あの頃の新日本プロレスに対してはすごい愛情があるんですね。
井上 前田さんは「スポーツとして」「格闘技として」とは別に、「とにかくみんな食おうよ」っていう。そこが、すごく頭にあったと思うんですね。理想を追い求めるだけではなく、みんなで飯を食えなければいけないんだという。その中で、理想と現実の狭間じゃないですけど、そういった部分が前田さんの中で大きくて。何て言ったらいいんですかね……
前田 いや、その通りですよ。飯が食えなきゃ、どうにもならんですね。UWF(旧UWF)が結局うまくいかなくなり解散となった時、今いるUWFの仲間に働きながらプロレスを続けていく気持ちは無いだろうなと思ったんで、自分がいる居心地のいい場所を何とか守るためにどうしたらいいか? 理想だけでは食えないんでね。
塩澤 その話の補足をすると、新間さんが中心になって作ったユニバーサルプロレスは佐山さんが参加することで話題になったんだけど、ある時、前田さんは佐山さんを制裁するっていうか、試合で“やる”わけですよ。その背景にはね、佐山さんが理想に走って、佐山さん自身は他に色んなことをやってて心配はないけど、他の人達はUWFのあがりで生活してる。その人達が、月に一回しか試合がないのはやっていけないだろうという話で「やっちゃってください」って言われてやったっていう。もちろんプロレスもそうなんだけど、彼にとって一番大事なのは家族のように一緒に生きることのできる仲間っていうのかな。それを長い間かけて一生懸命育てようとしたんじゃないか。それが、2度目のUWFになっていったっていうね。新日に合流した後、苦労しながら一生懸命下味を作って大ブームを作り出すんだけど。でも周りの人たちが、前田さんの考えていたことに付いてきてくれなかったっていうか。どうも話を調べると、前田さんがオランダの人たちと本格的な、もっと過激なところに入り込もうとしているのをわかってて、「付き合えない!」というか。それの中心になったのは、Tさんだと思うんですが……。
井上 Tさんって、誰(怒)!?
塩澤 (無視して)だんだん、心が離れていったっていうことだと思うんですよ。僕が思っているのは、プロレスが好きとか嫌いっていうより、プロレスラーとして一生懸命やってる人たちと一緒に生きていたい。そういうプロレスを愛したかったんじゃないかなって。だから愛憎半ばみたいなところがあるんじゃないかな、っていう風には思ってるんですよね。
――前田さん、いかがでしょうか。
前田 みんなで飯を食えるように。藤原さんと木戸さんに話を聞いたところ「新日本に行くのは絶対嫌だ」ということだったんで馬場さんのところに行ったら「ウチには維新軍も来て、パンパン状態。若い前田君と高田君だけだったら、面倒見てあげてもいいよ」って言われたんですけど。それを藤原さんと木戸さんに言ったら、2人はショックだったみたいで。すごいプライドがありますし、グッドワーカーと言われてる自負がありますし。だから、藤原さんに「食ってくために新日本プロレスに行きましょうよ」って言って。で、行ったらば業務提携という形になりましたね。
(終)



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Posted on 2015/07/20 Mon. 17:44 [edit]

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